弘仁寺について
住職挨拶
こんにちは。
弘仁寺5代目住職 森田眞源(もりたしんげん)です。
嬉しいとき、悲しいとき、楽しいとき、不安なとき、
人々はお寺を訪れました。
本物の安らぎを探して、お寺を目指したのです。
探して、探して、訪ねて、訪ねて、
聞いて、動いて、話して、見つめて。
何度も繰り返し、神仏とご先祖様に手を合わせ、
住職と話をしているうちに、体と心、言葉がだんだん落ち着いて、
穏やかになっていく。
参拝した人には、人生がより豊かなものになる
「学び」が起きるからです。
弘仁寺ができてから100年あまり。
私には、これまでに参拝した方々の想いを写真から想像するしかありません。
けれども、長い年月、弘仁寺のお大師さまが、参拝するひとりひとりの喜びや悲しみを静かに受け止めてくださったこと、この寺へ来て、何か知恵を得た人たちが確実にいたことは、実感できます。
お寺には、本物の安らぎを得るための人生の知恵が蓄積されています。
しかし、どんなに素晴らしい知恵であっても、伝えられなければ消えていきます。
弘仁寺に関わった人々の知恵が、今を生きる人たちに再生できたなら、と思います。
私たちの記憶と記録が、この先の住職となる者やお参りの人たちに伝わって、多くの人が微笑むことができたら、うれしく思います。
このホームページを通じて結んだ弘仁寺とのご縁が、あなたにとってよいものとなりますように。
弘仁寺の歴史
弘仁寺は、今から120年ほど前、
明治34年に長崎市大浦の出雲町にできました。
御本尊は弘法大師、不動明王、十三仏です。
働く女性を救う寺として
もともと、長崎の遊郭で働く女性たちが病気を治すためにお参りに来たことがきっかけでできたお寺です。
初代住職の
長崎を出られない女性たちは、お大師さまに会いたい一心で、弘仁寺の四国八十八ヶ所霊場の石仏を拝みました。
また、死後の幸せを祈り、極楽往生のご利益を願って、弘仁寺の阿弥陀さまと観音さまを拝みました。
仏さまのご加護によって苦しい生活から抜け出し、いつの日か幸せになりたいと祈りを捧げた女性たち。そのたくさんのたましいが支えてきたお寺だからでしょうか、今でも多くの働く女性が祈願を受けに訪れます。
軍艦島に縁のある寺として
2代目、
3代目、
弘仁寺の住職は、軍艦島へ毎月お参りに行っていましたので、閉山後は弘仁寺の檀家になる方が多くいらっしゃいました。
被曝した本堂
弘仁寺は長崎の高台に立つお寺です。
爆心地から5キロほど離れていますが、原爆が落とされた時には爆風が直撃し、屋根に大きな被害が出ました。倒壊を免れたのは、ご本尊不動明王のご加護によるものかもしれません。本堂を支える柱は少し歪んでおり、被曝の衝撃を静かに物語っています。
だれにでも開かれた寺へ
5代目
病院や、老人会などでの講演活動や、寺子屋活動も行っています。