淡彩日記

弘仁寺は水と炎のお寺です。
水と炎はどちらも強いものですが、2つ並ぶと優しげな「淡」という字を作ります。
お寺に起こるあれこれや、日々の「淡い彩」をお届けします。

弘仁寺納骨堂「やすらぎ地蔵堂」新規申し込み受付中

2019年07月23日 / 納骨堂
納骨堂全景
四国八十八ヶ所石仏に見守られて建つ納骨堂

令和元年7月、長崎を見晴らす丘の上に、弘仁寺納骨堂「やすらぎ地蔵堂」が完成いたししました。現在、先着順申込み受付中です。随時ご相談を受け付けていますので、弘仁寺までお電話(095-823-7759)下さい。

今回、新規に納骨壇(A~D型)を申し込みいただきました方には、納骨檀のお仏具一式をご用意させて頂きます。

納骨壇は申し込み先着順となりますので、納骨壇をお考えの方は下記の資料をご覧いただき、(画像をクリックするとPDFのチラシが開きます)お早めにお問い合わせ下さい。

心を浄化する功徳あらたかな烏枢沙摩明王を、このたび弘仁寺にお迎えいたします。

2025年04月20日 / Uncategorized

弘法大師(お大師さま)は1200年前から、ずっと一つの普遍的なメッセージを伝え続けてこられました。それは、「一切衆生──全ての生きとし生けるものの心の本源には、仏さまと等しく、清々しく澄み切った、安らかで穏やかな心がある」ということです。

この仏心はどのような心かというと、人が幸せにしているのを自分のことのように喜べる心です。人が苦しみ、悲しんでいるのを自分のことのようにいたみ、その苦しみをとってやりたいと願う慈悲の心です。あらゆるこころのはたらきが実体のない空であると見抜く智慧の心です。

私たちはその仏心を携えて「オギャー!」と生まれてきます。ですが、言葉を覚え、社会で成長していくにつれて、他の人からイヤなことを言われることもあるでしょう。蔑(さげす)まれることもあるでしょう。いじめられることも仲間はずれにされることもあるかもしれません。

そうして生じるのが「自分を守ろうとする心」です。本来の仏心ではないこの心が、過ぎ去った出来事を思い出すたびに暴走し、これを仏教では「煩悩(ぼんのう)」と呼びます。

その中でも瞋(しん)という激しい怒りの煩悩は、自分と人を比較して、自分を蔑みはずかしめた相手を激しく憎む心です。煩悩が暴走すると、心の中は憎悪の炎の黒い煙によって暗く覆われ、戦場のように乱れ、尽きることのない苦しみにさいなまれます。自らを守ろうとして自らが傷つく、これが煩悩の恐ろしさといえます。

この煩悩の構造は、現代社会のあり方にも深く関わっています。現代社会において、たとえ今後ロボットやAIなどの技術がどれほど進化したとしても、人間の「煩悩の暴走」を制御することは難しいかもしれません。

といいますのも、科学技術の開発が推進されるかどうかは、常に「経済的価値が増すかどうか」という価値判断に基づいているからです。

しかし、その判断基準には「優劣の比較」が必ず含まれています。そして、この比較こそが、人の心から穏やかさを奪い、煩悩の暴走を生む原因なのです。

経済成長や科学技術の発展を追い求めるだけでは、自分を守ろうとするあまり、かえって自分を傷つけるという矛盾が繰り返されてしまいます。

さらに、ロボットやAI技術は、「自分と他人の優劣を比較する心」を助長し、技術が進めば進むほど、あらゆるものごとを比較によって捉えさせようと、人の心に働きかけているのです。

ですが実は、2500年前からこの「自分を守ろうとして自分を傷つける」という煩悩の問題に真正面から取り組んできたのが仏教徒でした。お釈迦さま、お大師様の願いは、人々を煩悩の苦しみから救うことに他なりません。

仏教の歴史は、煩悩の暴走に巻き込まれている心を解放する道のりとして始まりました。
ですが、自分を守ろうと暴走する煩悩を自力だけで制御するには、煩悩の主張に振り回されない大変な勇気と、煩悩のいう理屈を幻だと打ち砕く絶大な知性、そして煩悩のもつ本来けなげなはたらきへの限りない愛情を伴った慈悲心が必要です。

そこで頼りになるのが、「信じられる師(明師)」の存在です。
今の時代でも、煩悩とひたむきに対峙している人は確かに存在しています。そのひたむきな生き様を見つめるのです。煩悩に真正面から向き合い、煩悩の暴走に振り回されなくなった人を見つけられたなら、自分も同じようにしようと思えるようになります。

やはり、人は結果にこだわらず、ただひたむきに頑張っている人を見ると、自然と元気をもらうようです。このことに理屈はなく、なぜかは分かりませんが、ひたむきに頑張る人を、私たちはただ、見つめていたいのです。

さて、ここまで、煩悩の暴走を無くせば楽になるということがわかっても、信頼できる明師が最初は中々見つからないかもしれません。

こういうとき密教では、自力ではどうにもならないほど強力な煩悩の暴走をおさめるために、浄化に特化した仏様のお力にすがるのをおすすめいたします。

まずは、修行が成就するようにお大師様をお参りします。「同行二人(どうぎょうににん)」お大師様と二人連れの思いを心に刻みながら、繰り返し、南無大師遍照金剛とご宝号をお唱えします。煩悩の暴走という問題に対して、お大師様と共に歩むと思えば、日々の希望となるはずです。

さらに、大日如来が変身されたお姿の不動明王をお参りします。不動明王の智慧の剣と智慧の炎を持って「この嫌な記憶と煩悩との結びつきを切り払い、焼き尽くして下さい」と願い、のうまくさーまんだーばーざらだん せんだーまーかろしゃーだーそわたや うんたらたー かんまん!と不動明王の真言を繰り返しお唱えします。やがて煩悩と出来事の結びつきは切り離され、跡形もなく焼き尽くされていきます。そうして次第に静かな喜びにつつまれた穏やかな心になっていくでしょう。

このように、お大師様、お不動様を日頃からお参りしていても、どうしても制御しきれない煩悩があるかもしれません。そうした心の奥にある煩悩に対して、密教では特別な仏さまのお力をいただくという方法がございます。

その仏様は、私たちの心の奥底にある最も醜く感じられる部分、お大師様やお不動さまに見せることさえはばかられる恐れの感情、自分の性格の問題に対する苦しみ、人から蔑まれるようなコンプレックス、トラウマと感じていることなど、相談することが恥ずかくて出来そうにない深い悩みを清らかに浄化してくださいます。
その仏様こそ、火頭金剛(かずこんごう)、穢積金剛(えしゃくこんごう)とも称される烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)です。トイレの神さまとしても親しまれるこの仏さまは、不空成就如来(お釈迦さま)が慈悲の心で変身されたお姿といわれています。四つの手に剣と、紐と、宝の棒と、三叉のホコをお持ちです。

烏枢沙摩明王は、火光三昧(かこうざんまい)に入られて、超高温の熱線によって私たちの心の中に固く固着した暗い記憶を焼き尽くして下さいます。そうして、つらい感情を伴う記憶から、感情と記憶を切り分けます。
烏枢沙摩明王のご真言、

①おんしゅりまり ままりまり しゅしゅり そわか

②おんくろだのう うんじゃく そわか

を何度も唱えてお参りするうちに過去の出来事が「ただの出来事」となり、思い出しても煩悩が動かなくなれば、心は真に静まります。

浄化とは、嫌な出来事と思っていることは、実は実体のない空(くう)だと気づくことです。智慧によって苦しみを空(くう)じることです。それにより煩悩が暴走する対象が幻だと気づければ、煩悩に振り回されることはなくなります。

このような教えと修行の実践を背景に、弘仁寺では今後さらに清浄な心を育む道場となるべく努めてまいります。

さて、本年は弘仁寺開創して125年となります。境内に開創25年の記念碑が建っておりますのでそこから丁度100年となります。125年の節目に開創の由来に立ち返り、清浄な心を実感できる霊場となるべく、いくつかの事業を計画しております。

まず、この度、ご縁があり烏枢沙摩明王の身の丈二尺三寸五分(約70センチ)の絵像(掛け軸)を弘仁寺にお迎えいたします。お披露目は約一か月後の予定です。

さらに当山で既におまつりし、おかげをいただいております女尊で即身成仏されておられる仏さま、大変浄化の力の強い多羅尊(多羅観音、ターラー尊)の絵像(掛け軸)を秋から冬ごろにかけてお迎えする予定です。

弘仁寺が皆さまにとって清浄な心を実感できる霊場となるよう、開創の際の発起人の方々の願いを成就できますように、お大師様、お不動さま、烏枢沙摩明王、多羅尊におすがりしてお参りしてまいりますので、どうぞ皆さま方も、ご信心ご参拝くださりますよう御案内申し上げます。

弘仁寺は、開山の趣旨にのっとり、あらゆる人が平等に救われる霊場をめざします。皆さまのご支援ご協力を心よりお願い申し上げます。

11弦ギターと篠笛コンサートのお知らせ

2025年03月17日 / Uncategorized

4月16日19時より弘仁寺において辻幹雄さんとヨーコ・カンタルーナさんをお迎えして、弘仁寺 春の夜の音楽と法話会を開催します。

開場は18時30分より、当日チケット4000円となっております。

ご参加希望の方はお問合せください。

12月28日餅つき大会開催します!

2024年12月28日 / Uncategorized

本日12月28日昼11時から12時半まだ予定通り餅つき大会を開催します。どうぞお越しください。

鎮魂の音楽と法話のゆうべを開催します

2024年03月06日 / Uncategorized

11弦ギター奏者の辻幹雄さんをお迎えして、鎮魂の演奏と法話のゆうべを開きます。

お申込みの方はホームページのお問合せよりご連絡ください。

餅つき大会のおしらせ

2023年12月14日 / Uncategorized

弘仁寺での餅つき大会は今年で4回目になります。どなたでも飛び入り参加歓迎ですのでどうぞお越しください。もちは3回つきます。当日初めて来られる方も大歓迎です。

日時 2023年12月30日 11時より12時半まで

場所 弘仁寺 境内 

参加費 無料です

仏教お話会「心の中に辞書がある!?」のご案内

2023年06月13日 / 行事案内, 読める法話

令和5年7月16日(日)13時より弘仁寺で「仏教お話会」を開催しますのでご案内します。

心は言葉でできています。私たちの心の中には、真っ白なノートがあって、そこに誰かから聞いた言葉とその意味をどんどん書き留めているのです。赤ん坊の頃から、私たちは言葉の見た目(視覚)、音のトーン(聴覚)、匂い(嗅覚)、味(味覚)、肌触り(触覚)など、五感で言葉とその意味を感じ取り、メモを取り続けてきました。

大人になると語彙が増え、心の中には個々に異なるオリジナルな辞書ができます。ある人の辞書には五感を刺激するメモやイラストがたくさん書かれており、まるでカラフルでワクワクする百科事典のようです。また、別の人の辞書は、言葉とその意味が一つだけ書かれた英単語帳のような形をしているかもしれません。

そして、この辞書こそが、心に楽しみや苦しみを感じさせるのです。私たちの幸せや不幸の感覚は、この辞書の中身がどうなっているかによって大きく変わります。いうならば心の中の辞書こそが心の本体ということもできます。ですので、今回のお話会では、心の中の辞書に焦点を当て、注目していきます。

心の中の辞書は本来、常に改訂できるノートの集まりです。しかし、分厚い本や辞書、学校、親や友達、テレビ、映画、小説、論文、マンガ、アニメでおぼえた言葉の意味は、最初から固定されているように感じられるかもしれません。言葉の意味が心の中で変えていけるなんて、最初はなかなか信じられないでしょう。

他人から「正しい」と教えられた言葉の意味を心の中で変えていくのは、初めはためらわれるかもしれません。誰かから「この言葉は書き換えてはいけない」と言われたと感じる人は、心の中のノートに書いた言葉を修正するのに勇気が必要になるでしょう。

しかし、自分の心の中の辞書を書き換えること(改訂すること)は自分にしかできません。五感を使って再び体験し、心の中のノートを書き換え、心の中の辞書を改訂する勇気を持ちましょう。そうしたら、「ある言葉を聞いたら急に怒りが爆発する」といったことが無くなるはずです。

子供の頃から五感を通じて言葉を学ぶと、心の中の辞書が個々に異なるものだと信じられるようになります。その結果、相手の言っていることの意味が分からないときには、相手の心の中の辞書を読み解こうと思えるようになるでしょう。人を思いやるというのは、人の心の中の辞書を読むことなのかもしれません。そうなりますと、最初は意見が合わなくても、即座に相手が悪い人だと決めつけなくなるでしょう。相手の心の中の辞書を研究し、読み解いているうちに、相手と分かり合えるようになる可能性は残されています。

仏教では心の中のノートにどのように言葉をメモするか、そして出来上がった辞書をどう書き換えていくのかについて、何千年もの間、観察し、研究してきました。心の中の辞書の書き換え方を学ぶことは、心の中を明るく豊かにしていくためにとても良い学びとなるはずです。

ご興味のある方は、どうぞお気軽にお越し下さい。

「仏教お話会」

日時 7月16日(日)13時から16時

場所 弘仁寺 長崎市出雲1丁目17-23

参加費 3000円

嫉妬と随喜(ずいき)その1

2023年05月31日 / 読める法話

私たちはやっぱり、自分が可愛いものです。誰にでも大なり小なりそういうところがあります。そして、そのこと自体が絶対にいけないというわけではありません。嫉妬自体は、心の自然な働きの一つだからです。

人間ですから、人生のある時期、自分のことにしか興味がもてず「人が善いことをするのを喜べなかったり、人の幸せを喜べない気持ち」つまり「嫉妬」の気持ちに振り回されてどうしようもなく、そんな自分が嫌になることがあるかもしれません。

ですが、私たちは、嫉妬心が自然にあると同時に「人の善い行いを喜ぶ気持ち、幸せを喜ぶ気持ち」を育てることができます。江戸時代まではそれを「随喜(ずいき)」の気持ちと呼んで大切にしていました。弘法大師は『十住心論』巻第九にて、「喜とは随喜(他者の善行を喜ぶこと)です。他者の善をみて自分のことのように喜ぶことをいいます。あらゆる人を平等に見て、嫉妬の心を離れるからです」とおっしゃっています。

善行とは、苦しみを減らしていく行いです。苦しみが少なくなり気にならなくなった状態を楽といいます。

あなたがもし、どうしようもないほど嫉妬に振り回されていると感じるとしたら、それは心の全体像を学ぶ時期がきているのかもしれません。倶舎論という仏教の基礎学では心の中に20種類以上の苦しみを増やす心(煩悩)があると説きます。それは誰にでも自然にあるのです。最初から煩悩が全然無い人はいないのです。そして20数種の煩悩の一つでも対処されないまま放置されていると、苦しみが減らずに心の中がいつもどんよりと濁ったようになり、いつまでも清々しくなりません。本来、仏教の教えは、そうした心の苦しみ(にごり)を減らし、心を清々しく明るくするために説かれています。

そのゴール地点が般若心経の教え、般若波羅蜜多です。ですが、いきなりゴールに行くのは大変ですよね。究極的には一切がみな空(くう)だとしても、いきなり空を体得するのは簡単ではありません。「嫉妬がやめられない」等、今の悩みに切実さと実体感がある間は、それを軽くする教えを学ぶところから始めてみましょう。弘仁寺での勉強会では、心を軽くする仏教の教えを初歩的なところから一つ一つ学んでいきます。

少しずつ心のねじ曲がりを正直に(まっすぐに)していき、心の中に隠していた思いを打ち開けていくにつれて、だんだんと人の善行を喜べない気持ちは治まり、人の善行を喜べるようになっていきます。

正直なところを打ち開ければ、私たちはみんな自分勝手な生き物なのかもしれません。人生を振り返ると、苦の減らし方なんて誰も教えてくれなかったような気がしてきますし、自然と苦を育てることばかりしていたような気がします。ですが、嫉妬するのにも、いつかは疲れますし、人の幸せを喜ばないのにもエネルギーがいるので、だんだん嫉妬するのにも飽きる日が来るでしょう。そうしているうちに、(人の幸せを喜ぶ)随喜の気持ちを育ててみようか、という気分になるかもしれません。随喜の種は私たちの心の中に確かにあります。随喜の種から芽が出て茎が伸び、いつか花を咲かせ、実をつける時がくるのを楽しみに待っています。今日もお読みいただきありがとうございました。

如意宝珠に願うもの

2023年05月30日 / 読める法話

想像してみてください。この世のどこかに確かにある、あらゆる願いを叶える大きな大きな如意宝珠に私たちは何を願うのかを。自分の幸せ?それとも、家族の幸せ?はたまた、愛する人の幸せでしょうか?

 この世に確かに実在する、如意宝珠よ、宝の珠よ。願わくは、過去、現在、未来、あらゆる場所のあらゆる時間に生きる、生きとし生けるもの全てに行き渡る功徳を雨のように平等に降らせてください。そしてその功徳によって生きとし生けるもの全てが、その在り方にあった智慧(変化を受け入れる穏やかさ)と慈悲(相手の苦しみを取って楽を与えたいという慈愛の思い)を得られますように。生きとし生けるものが皆、そして、あらゆる存在が皆、今日一日、誰からも声をかけられずとも、今日一日、誰からも褒められなくとも、今日一日、ただそこにいれたことは、それは幸せだと、感じられますように。 明日もまた、いろいろあっても幸せな一日になると信じて、穏やかなひと時をすごせますように。 今日もありがとうございました。

仏教のお話会のご案内:知らなかった煩悩の中身の話→6月10日13時から16時まで。会場→諫早市のカフェdacha68さん

2023年05月30日 / Uncategorized


「煩悩は勝手に自分でも気づかずに出てしまうもの」ということで、煩悩に気づいて、煩悩を治めていくお話をいたします。とても大事な話になるので、お時間ある方は諫早のdacha68さんに6月10日13時にお越しください。会費は3000円です。参加ご希望の方はdacha(ダーチャ)さんにお問い合わせいただくか弘仁寺にご連絡ください。

以下はdachaさんに作っていただいた今回の案内を転載します。

以下転載です。


住職との打ち合わせで、資料を拝見させていただきましたが、アニメ 鬼滅の刃でもよく使われているような言葉がここにあったりして、非常に興味深かったです。仏教用語で、捉え方が難しく感じる表現を住職があえて現代風に表現し直した言葉で、ゆっくり伝えてくださいますので、生きづらさや、生きにくさを感じる現代社会ですが、心の本質のお勉強として、ぜひ触れていただけたらと思います。

締め切りは当日の午前中まで可能です♪

【煩悩と向き合うコツとヒント】
〜煩悩は消すのではなく、向き合う〜
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6月10(土) 13時〜16時
参加費/3,000円〈資料付き〉
定員15名さま

会場

Dacha68(ダーチャ)
〒854-0006 長崎県諫早市天満町10−6

インスタグラム

https://instagram.com/dacha068?igshid=MzRlODBiNWFlZA==

お問い合わせLINE

https://line.me/R/ti/p/@009vhdas#~
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煩悩は消すのではなく、向き合うとしたら???

どんな風に、どうやって向き合うの?
という素朴な疑問が湧きますが、
住職にお尋ねしたところ

「煩悩はステレオの音量調整と一緒で、ボリューム調整なんですよ」と。


は、は〜ん なるほど!
ボリュームか〜! と、
一見わったようで、
わからないようで笑笑


そこで住職に、
「そもそも煩悩ってなんですか?」と、お尋ねしたいぐらい、

言葉では知ってるつもりだけど、人に説明できるかと言われたら、説明できない方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

  
・煩悩ってなあに?
・煩悩の種類

など、
仏教ではどう言い表わしてあるのかなど、煩悩の本質を教えていただきます。

仏教はあらゆる人のために

2023年05月11日 / 行事案内, 読める法話

5月14日13時から、弘仁寺で「仏教勉強会:心を安定させ、前向きに生きるための仏の教え」という勉強会が開催されます。受講料は3000円(資料代込み)で、どなたでも参加できます。

今回は、勉強会で使用される「阿毘達磨倶舎論図記」という図表を紹介します。この図表は、大正時代に篤学の士である大塩毒山氏が製作したもので、仏教の基礎学30巻である「倶舎論」を一つの表にまとめたものです。大塩氏は難聴のために苦労しましたが、仏教を大学で勉強し、同じ難聴の方々が仏教の教えを理解しやすくなるようにと願い、この図表を作り上げました。この図表は、仏教の宇宙観、人生観、主要教理などを一目瞭然に示すもので、全長は2メートルにも及びます。寺の住職ではなく、一般の方がこの図表を作り上げたことは、仏教が決して僧侶だけのものではなく、あらゆる人のためのものであることを証明しています。

最近は、物事を簡単かつわかりやすく伝えることが流行していますが、流行を追っている間に時間だけが過ぎ去り、基礎からじっくりと学ぶ時間がなくなってしまうことがあります。仏教の基礎学は用語が多く、慣れるまで時間がかかるかもしれませんが、たとえ10年かかっても学ぶ価値があるものです。

人生は確かに短く、そして先人の伝える教えは膨大です。私たちは焦って結果を出そうとして、応用編や実践編にばかり気を取られがちになります。それでも、「基礎ができれば完成できる」という希望を抱き、一緒に基礎からコツコツと仏教を学びませんか?

もし興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、お気軽にお問い合わせください。

『マイ遍路』はおすすめの本です。元気がいただけます。

2023年04月29日 / 日々のできごと

白川密成師が書かれた『マイ遍路』を長崎市のメトロ書店さんで購入し、読み始めました。
読み始めた途端に、無性に四国を歩きたい気持ちになります。
白川さんのように、礼拝行をしながら、修法をしながら、ゆっくりと四国八十八ヶ所を歩く時間を持てますようにと願っています。
(礼拝行だけでもまずは、できるところからやろうとご本尊様の前で礼拝を50回だけいたしました。)

まずはお気軽にご相談ください
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