淡彩日記
【読める法話1】お寺はこころを観察する道場 Part3
「道場」と言うと何を思い浮かべますか? 剣道、
柔道、茶道、華道などでしょうか。実は、お寺も
「道場」ですが、残念ながら、道場として使う
ことを忘れられがちです。
お寺は、本当は「自分を観察する道場」です。
しごと、くらし、じぶんは三位一体。
お寺をじぶんの道場としてしっかり使って、
じぶんを見つめ、じぶんを本物だと信じる
練習をして欲しいのです。
そもそも、なぜ私たちは本物を求めるので
しょうか?
それは、安心できないからです。
私たちの心のモヤモヤ、つらさは、どこから
生まれるのでしょう?
それは、「自分のことが、分からないからだ」と
仏さまはおっしゃっています。
さとりをひらくって、「自分の心を如実に知ること」
なんです。
これは、大日経というお経に書いてあります。
「如実に」って何かというと、きれいごとだけではない、
プラスもマイナスも、ポジティブもネガティブも
陰も陽も成長も衰退もどちらも含んだ、本音の自分の
心の声のことです。
自分の本音が、聞こえなくなっているのが
「迷い」なんだというのです。
自分の心の本音をよく聞いて、本心をよく見て、
それを表現する練習を繰り返す、そうするうちに
自分は本物に近づいていきます。
【読める法話1】お寺はこころを観察する道場 Part2
本当にすごい人って、この人は本物だなぁって
思える人です。体験に裏打ちされた、深い
自信のある人です。
自分を信じている人は、目と、耳と、表情と、
態度と、身振り手振りと、全身で自分の思いを
表現するんです。
感謝する時も、文字や言葉だけでありがとうを
伝えるだけでは終わりません。
目でも、表情でも、身振り手振りでも、全身で
感謝を表現します。
自分を信じてるよ、自信あるよ、と納得する
ためには、本を読んで、話を聞いて、頭で考える
だけでは足りません。
もちろん、本は沢山読んでいます。あらゆる本を。
じっと考えています。ずっと考えています。
…それでも、深く深く自分を信じるには、体を
使った反復練習がいるんです。
こういった、自分を本物だと信じるための練習を
する場所を「道場」といいます。
【読める法話1】お寺はこころを観察する道場 Part1
突然ですが、さとりに、興味はありますか?
と聞くと、いえいえ、わたしは凡人だから、
はっきり言って、わたしは煩悩の塊だから、
さとりなんて立派なものには縁がありません。
悟りは、はるか遠い、どこかの話……そう、
仏教でいうところの、ほとけさまの世界の
話でしょう?という声が聞こえてきます。
そうですよね…
あなたはもしかしたら、だれか本当にすごい
人を探す旅の途中なのかもしれません。
そんなすごい人に沢山出会えたらいいですよね。
でももし、あなたが探している本当にすごい人に、
あなた自身がなれるとしたら、どうでしょうか?
うれしくないですか?
うれしいですよね。