淡彩日記

月: 2019年4月

弘仁寺webページの目次 

2019年04月29日 / Uncategorized

弘仁寺へのお問い合わせは、電話095-823-7759または、お問い合わせからメッセージを送ってください。

トップページ…トップページ中程に開催予定の行事案内が掲載されます。

弘仁寺について…住職紹介、弘仁寺の歴史

淡彩日記…ブログ(納骨堂案内や、行事詳細案内はこちら)

弔う…葬儀受付、法事受付、水子供養、お参りの作法について、お布施について

てら活…護摩、瞑想、写経、法話の案内

寺子屋「象浄会」…宗派を問わず誰もが参加できる寺子屋の案内。象さんのマークについて。

アクセス…写真がついていて分かりやすい。駐車場案内。

お問い合わせ…ここからメッセージを書いて送信いただければ、住職へメールが届きます。住職が読んで3日以内にお返事をします。お急ぎの際はお電話を。


いっちゃんの番組で弘仁寺を紹介してもらいました。

2019年04月25日 / 動画

「いっちゃんのお寺でじぃーん」http://otera-de.com/という番組で、市原 隆靖さんとお話をさせてもらいました。
番組では、弘仁寺の様子を動画で撮ってもらっています。
まだ弘仁寺に行ったことがないという人には、動画でお寺の内部の様子がよく分かります。
話していて、思いました。
市原さん、素敵です。かっこいいです。
そして、うちのご信者さんには紳士です。
なにより仏教に対して真摯です。
素晴らしい機会をいただきました。
市原さんの今後のますますのご活躍と、無事「いっちゃんのお寺でじぃーん」108回達成を祈念しております。
機会がありましたら、また出たいです。ありがとうございました。

弘仁寺納骨堂のご案内(令和元年5月9日更新)

2019年04月23日 / 納骨堂

弘仁寺納骨堂第二期募集中です。
令和元年(2019年)7月下旬完成予定です。現在新規納骨壇の募集をしています。
令和元年に生まれ変わる新納骨堂にご期待下さい。
弘仁寺では、納骨堂相談会の予約を受け付けています。
お電話またはホームページからお問い合わせください。
見本画像が出来ましたので納骨壇の様子を募集案内からご確認ください。(5月9日更新)

護摩祈祷とは

2019年04月07日 / お寺のあれこれ

護摩とは火天(インドではアグニ)という神の火柱です。超越を象徴する火柱と自己の身心との対話です。静かに炎を見つめて、火柱と心が溶けていくと、心の奥底に流れる通奏低音に気づきます。私たちが生まれる前から存在する「ことば」という神に、火柱の華を供養します。自力だけではほどけない、絡みついた、「ことば」を火柱は焼き尽くします。古くから日本では、心の自由と人間味と詩情を取り戻すために火柱を見つめてきました。
祈祷とは祈り禱る(いのる)ことです。
祈祷の禱(とう)という漢字の語源は、お米が無事実ることを願ってお祭りをする様子を表しています。近年学校では自助努力が強調され、神仏に「現世利益」を求めることは否定されがちです。ですが、私たちが生きていく上で必要不可欠なお米や麦などの五穀は、人の自助努力だけでは決して実りません。十分な日照や、豊富で清らかな水、そして多くの隣人の協力といった現世(自然と社会)の利益(恵みと思いやり)が必要です。
お米が取れますように、自然が穏やかでありますように、皆助け合いしあわせでありますようにという願いは、自助努力だけでは叶わない、現世利益も含めた願いなのです。
古く平安時代から、日本では天長く地久しく、国土の風雨が季節に相応しく順時おとずれ、五穀が豊かに実り、国中が協力和合し、諸々の人が快く楽しみ、あらゆる世界に平等に利益がもたらされますようにと、祈りが続けられてきました。自分さえ良ければではなく、誰もがしあわせになりますようにと願って、お護摩祈祷を行っております。

護摩法会

お布施って何?どうしたらいいの

2019年04月06日 / お寺のあれこれ

お布施とは、心のよりどころとしてのお寺を保全するためのご寄付です。
長くこの場が、続きますようにとのお気持ちで、お布施をしていただいております。
金額に決まりはありませんが、分からないときは住職に「皆さんはどれ位されていますか」と遠慮なくお尋ね下さい。

心が帰る場所、心の居場所を守るためにいただいております。
私達と仏教の関わりの根源を深く深くさかのぼっていくと、
そこには一つのイメージがあります。
それは、私達にはいつでも帰れる所があり、たましいの家族のような場所があり、
大切な拠り所があるというイメージです。

心の古里を守りたいという思いで仏教は2500年続いてきました。

尊い人、心震える話、誰かのために生きた仲間、
そういう大勢の人々が作った大切な場所を守りたい
たましいの家族を守りたい
そのためにお布施をいただいております。

お布施のことを、インドではダーナといいます。
日本語の「旦那」の語源が、ダーナです。
「檀家」の語源もダーナです。

本来、お布施とは施し与えること。
続きますようにと祈りながら。

悲しい時、苦しい時
良くなりますように
良くなりますように
全ては、次の人のためにと思って、祈ります。

お布施の中には、
学んだ教えを伝えるというお布施(法施)
人に笑顔を見せるというお布施(和顔施)
人に人間味のある声掛けをするというお布施(愛語施)もあります。
こうしたお布施の一種として、財産の寄付(財施)があります。
お葬儀の後にいただく財施をもとに、教えの学びや、若手僧侶の育成、寺院補修・整備の支出を行っております。仏教寺院活動が続いていく上で基盤となる大切なお布施だと存じております。
貴重なご寄進を仏道普及に活用させていただいております。

歴史を紐解くと、お布施の始まりは財施からではなかったようです。僧侶が修行を続けられるように僧侶が着る衣の布を施すことから、「お布施」ということばが生まれました。
お釈迦さまから2500年の間、お金だけでなく、食べ物であったり、住むところであったり、学びのための経典や宿舎、修行を支援し手伝う人の生活援助など、様々な形のダーナ(お布施)をいただきながら仏教は続いてまいりました。
長くこの場が、続きますようにとのお気持ちで、お布施をしていただいております。
お布施はこの世を良くするためのものです。

悲しみと苦しみを抱えた心に、
よりどころが見つかりますように。
どうか、心が安らぎますように。
安らぎますように。

合掌

【読める法話1】お寺はこころを観察する道場 Part5

2019年04月05日 / 読める法話

さとりって、「ほら、ここ!ここにあるよ!」というくらい
日常のすぐ近く、仕事のすぐ近くに転がっていて、
見つかる時は、案外すぐ見つかるものなんです。

私たちは、成仏するために努力するのではありません。
もうすでに、わたしは成仏しているんだと
「納得するため」に努力するのです。

コツコツ道場に通っているうちに、本当にすごい人って
いるんだなぁと気づくことが増えてきていつのまにか、
自分も本物にちょっとずつ近づいてきているなぁと
実感するみたいです。

「わたしだって本物なんだ」と納得するために、
心を表現する練習をしてみませんか?

何度も通って、納得するための場所、自分に価値があると
気づくための道場が、弘仁寺です。

【読める法話1】お寺はこころを観察する道場 Part4

2019年04月04日 / 読める法話

心は肉眼には見えません。
心の声は左右の耳からは聞こえません。
だとしたら、本心、本音はどこにあるのでしょうか?

それは、「体と心と言葉の繋がり」の中にあるみたいです。
そして、それに気づくには、道場に通うのがおすすめです。

道場に通って何をするかというと、道場の環境の変化、
自然の変化を見つめ、その「変化」を感じるのです。
(特に水と炎が大事です)

なぜそんなことをするのかというと、本物になる方法は
再現性があるからです。
本物になった人は、やっぱり自然をよく観ています。

ある人は水を眺めて、
ある人は火を眺めて、
ある人は星を眺めて、
ある人は山を眺めて、
ある人は川を眺めて、
ある人は海を眺めて、
ある人は草木を眺めて、
さとりました。

本物の自信がある人は、人の和も大事にします。
ある人は話をしているうちに、
ある人は茶碗を洗っているうちに、
ある人は掃除をしているうちに、
ある人は寝ていたら突然(!?)
大切なことに気づきました。

さとりを開くって、ほとけさまから見たら、
特別すぎる奇跡ではありません。

【読める法話1】お寺はこころを観察する道場 Part3

2019年04月03日 / 読める法話

「道場」と言うと何を思い浮かべますか? 剣道、
柔道、茶道、華道などでしょうか。実は、お寺も
「道場」ですが、残念ながら、道場として使う
ことを忘れられがちです。
お寺は、本当は「自分を観察する道場」です。
しごと、くらし、じぶんは三位一体。
お寺をじぶんの道場としてしっかり使って、
じぶんを見つめ、じぶんを本物だと信じる
練習をして欲しいのです。

そもそも、なぜ私たちは本物を求めるので
しょうか?
それは、安心できないからです。
私たちの心のモヤモヤ、つらさは、どこから
生まれるのでしょう?
それは、「自分のことが、分からないからだ」と
仏さまはおっしゃっています。

さとりをひらくって、「自分の心を如実に知ること」
なんです。
これは、大日経というお経に書いてあります。

「如実に」って何かというと、きれいごとだけではない、
プラスもマイナスも、ポジティブもネガティブも
陰も陽も成長も衰退もどちらも含んだ、本音の自分の
心の声のことです。

自分の本音が、聞こえなくなっているのが
「迷い」なんだというのです。

自分の心の本音をよく聞いて、本心をよく見て、
それを表現する練習を繰り返す、そうするうちに
自分は本物に近づいていきます。

【読める法話1】お寺はこころを観察する道場 Part2

2019年04月02日 / 読める法話

本当にすごい人って、この人は本物だなぁって
思える人です。体験に裏打ちされた、深い
自信のある人です。

自分を信じている人は、目と、耳と、表情と、
態度と、身振り手振りと、全身で自分の思いを
表現するんです。

感謝する時も、文字や言葉だけでありがとうを
伝えるだけでは終わりません。
目でも、表情でも、身振り手振りでも、全身で
感謝を表現します。

自分を信じてるよ、自信あるよ、と納得する
ためには、本を読んで、話を聞いて、頭で考える
だけでは足りません。
もちろん、本は沢山読んでいます。あらゆる本を。
じっと考えています。ずっと考えています。
…それでも、深く深く自分を信じるには、体を
使った反復練習がいるんです。

こういった、自分を本物だと信じるための練習を
する場所を「道場」といいます。

【読める法話1】お寺はこころを観察する道場 Part1

2019年04月01日 / 読める法話

突然ですが、さとりに、興味はありますか?
と聞くと、いえいえ、わたしは凡人だから、
はっきり言って、わたしは煩悩の塊だから、
さとりなんて立派なものには縁がありません。
悟りは、はるか遠い、どこかの話……そう、
仏教でいうところの、ほとけさまの世界の
話でしょう?という声が聞こえてきます。

そうですよね…

あなたはもしかしたら、だれか本当にすごい
人を探す旅の途中なのかもしれません。
そんなすごい人に沢山出会えたらいいですよね。

でももし、あなたが探している本当にすごい人に、
あなた自身がなれるとしたら、どうでしょうか?
うれしくないですか?

うれしいですよね。

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