淡彩日記
夜のお参り
当山は、いつでもお電話、ライン、メールなどでのお問い合わせが可能です。
お参りをお願いしますとのお電話がありましたら、お寺におります時は、朝でも夜でも受け付けております。
本日は鹿児島よりお越しの方と夜にお参りをいたします。静かなお堂の中で、読経供養させていただきます。願わくは、お参りに来られた方も、そうでない方も共に、心が解きほぐされて、穏やかにお過ごしいただけますように。
淡々と、何も考えずに、ゆっくりと、今日もうちにいて、茶碗を洗う。
この世には、変化するもの(有為)と、変化するものの影響を受けないもの(無為)と、変化のプロセス、歴史を観察し保管するもの(識)の3つがあると考えてみましょう。
変化するものは地水火風の四つの性質です。
とても安定していて、堅固な地の性質が、湿潤で柔らかくする水の性質を受けとって、火の性質によって温められて行くうちに、風の性質のようにどんどん動き、軽やかになっていく性質を持っていく、というように変化が続いていきます。
一方で、変化するものの影響を受けないのが無為(むい)です。変化の影響を受けないものがあるのだ、という話を今は、そういうこともあるのか、位に思っていただいて読み進めて下さい。
例えば、全ての有為の変化を受け入れる居場所となる虚空(こくう)が無為の一つです。
四苦八苦の影響を受けない涅槃も、無為の一つです。
そして、ここからが不思議な所なのですが、普通は相互に影響を及ぼしあうことのないはずの、有為と無為の間に関係性を持たせる何かがどうもあるらしいのです。それを菩提心と呼ぶことにします。混じり合うはずのない有為と無為の両者が混じり合い、溶け合い、相互に働き合うことは、菩提心の中で起こります。
ですが、両者の融合に何らかの善悪の結果を求めると何かの業が生まれてしまいます。そこが繊細なところです。
通常反応しないはずのもの同士が、混ざり合わないはずのものが、相互にコミュニケーションをはじめるとき、何かが起こり、あっという間に、気がつかない内に、神話が再び生まれます。刹那の間に世界は書き換えられ、そしてまるで何事もなかったかのように世の中は再び動き始めます。
何もせず、何も思わず、何事もなく、ただ息を吐いて吸っての繰り返しのように、家事や仕事を淡々と回していく。そうすると、思わぬ縁が動き出し、不思議とそうなるようになっていきます。
家の事(であろうと何であろうと)は、何も善悪を意図せずに無心に進めていくと、無為への修行と重なっていくようです。
たんたんと、淡々と。
変えられないと思うとうまく瞑想できない(可能性を信じる1)
瞑想を進めたいのに進まないと苦しいときは、どこか自分の中に「変えられないところがある」と思っていないか振り返ってみるのもいいかもしれません。そうすると、自分の中のこだわりが見つかってきたりします。「変えられない、もともと決まっていて動かせない」と思いながら瞑想をしても、瞑想は進展するかというと難しい気がします。瞑想をする前の感覚では動かせそうに無いところも、瞑想をしている中で心が見つめ直されていく中で、瞑想する前とは違った感覚になり、動かしてもいいかもしれない、と納得できるようになる時が、ある時突然やってきます。
心の中を見渡したとき、今はただの掴みどころの無い乾き切った砂のような感覚であっても、瞑想に心の汗をかき、心の涙を流しているうちに、砂に一滴一滴の湿り気がもたらされていきます。そして、やがて砂につかみどころが生まれ、いつしかさざれ石となり、そして長い年月の果てにはついに大きな岩となるように変化して行くかもしれません。いつそうなるかは気にせず、早く変化させたいと焦らず、その変化を楽しみに待ちながら、淡々と続けようと思えたら、ありがたいですね。きっと何かが進み始めます。
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ほとけ心を抱きしめる
心には居場所が必要です。弘法大師空海さまも若かりしころ、心の居場所を求めて修行に励まれました。心の拠り所がない苦しみ、心の置き所がない寂しさを誰よりも理解していらっしゃるのが弘法大師さまです。
あなたの心の本当の置き所は、誰にも妨げることのできない虚空の世界にあります。それを仏教では真如といったり、涅槃といったりします。
そこにあなたの一番大切な心を置けば、どんな天魔もあなたの心を傷つけることはできません。全ての仏さまは心を涅槃の世界においています。
諸行無常というからといって、あなたの心の一番大切なところまで、苦しみの海の中にとどまらせることはないのです。仏さまが苦しみの海にお姿を表すとしても、そのお姿は本体ではなく分身であって、仏さまの心の本体はあくまで涅槃の世界にとどまっていらっしゃいます。だから仏さまはどんな苦しみの世界に現れても、苦しみに沈むことはありません。
あなたが、この世での苦しみの只中にあるときこそ、誰にも傷つけられることのない、真如の世界、言い換えれば涅槃の世界とのつながりを忘れないで下さい。仏さまのぬくもりを受け取って、あなたの心にぬくもりを当ててください。あなたの心がしっかりと温まるまで、それを離さないでください。
私たちは、仏さまに心を込めてお参りした結果、仏さまから温かい心をいただいたとしても、自分の心がしっかりと温もりきる前に、慌てて仏さまにそれをお返ししてしまいがちです。
私たちが仏さまからいただいたぬくもりを返すのは、自分の心を素直に仏さまの世界に置けるようになったとき、言い換えれば心を涅槃の世界に置けるようになった時でいいのです。
只々、ありがたい、ありがたいと、心を込めて、心をあたためてください。
体も心も冷え切っている時は、まずは湯たんぽをあたためて、それをじっと抱きしめてもいいでしょう。体が温まるにつれて、心も温まりやすくなるはずです。
心ゆくまで、自分の心を大切に温めていいのです。心を真に安らげる居場所は、仏さまの世界に必ずあるのですから。
令和4年もちつき大会のお知らせ
今年も一年のしめくくりに、もちつき大会を開催します。
ちんどんかわち家さんと楽しくもちつきをしましょう。
かわち家さんとつくモチは、機械でついた普通のもちとは味が違います。最高の仕上がりになるまでつきあげた餅は、口の中でうまみが広がり、正に絶品です!
こころも体もぽかぽかになって、大人も子どもも楽しめます!
1人でも、親子でも、親戚と一緒に、友だち同士で年齢性別関係なく、どなたでも参加できます!
当日飛び入り参加大歓迎です!どうぞお越し下さい!

辻幹雄11弦ギターコンサート(11/6 14:00)のお知らせ
日本の11弦ギターの第一人者として、国内外で演奏活動を行っていらっしゃる辻幹雄さんのコンサートが弘仁寺で開催されます。
お寺の本堂の中に、11弦ギターのやわらかなしらべが広がり、耳を傾けているうちに、疲れた心がいつの間にか解きほぐされていくでしょう。リラックスした雰囲気で楽しんでいただけたらと思います。
仏教は、心の中にあるこだわりに気づき、心をのびのびと解き放つ教えです。今回は、音楽を通して、仏様の慈悲の世界を感じていただきたいと思います。暖かい音色に身を委ねる時間をお楽しみください。
お問合せは弘仁寺まで電話095-823-7759又は、support@koninji.comまでメッセージをお願いします。当日申し込みも可能です。
日時 令和4年11月6日 日曜日 開場午後1時半 開演午後2時
場所 弘仁寺
チケット 3000円
お問合せ 弘仁寺095-823-7759
どうぞ、この機会にお気軽にお越しください。
秋のお彼岸 心を穏やかに
去る9月23日10時から弘仁寺にて彼岸法会がありました。 供養の申し込みいただいた方の塔婆を書いて、本堂で読み上げ供養を致しております。
仏教の修行の中にはたくさんの側面がありますが、その中にはまず自分の人生に意義を見出し、次に人を幸せにすることに興味を持つというものがあります。 自分の行動と思いを観察しているうちに、自分がなぜそう感じるのか、自分でも気づいていなかったことが分かるようなるにつれて、次第に心の余裕が持てるようになっていきます。
そうすると、次に他の人の考え方や、感じ方に興味がもてるようになり、人が苦しんでいるのであればその苦しみを取りたくなり、楽を与えたくなっていくようです。
空に雲が垂れ込めていてもいつか晴れるように、変わらないものはありません。今の自己の苦しみも、よく考えて観察しているうちに段々と和らいでまいります。意味が分からないうちは心の重荷でも、意味が分かって納得がいけば心は軽くなり、晴れやかで穏やかな心持ちで暮らしていけるはずです。
秋の涼しく穏やかな空の下、皆様お一人お一人が自心を見つめて、安心を見出せますよう祈念しております。

より良くを目的にしない
どんなに苦しい時であっても、無限には続きません。無限に苦しみが続くにように感じる時は、少し立ち止まって一人で旅をする時期です。
ひょっとしたら自分自身が、自分の苦しみを利用して別の目的を叶えようとしているのかもしれません。
自分を苦しめる考えは、もちろんやめなくてもいいですが、やめてもいいのです。こうすればいいとか、より良くとか、なんとかして良くしたいとか、あまり気にしないことです。
今できることも、学んでできるようになることも、みんないつかできなくなります。そういうものです。できることをする。できないことはしない。それでいいのです。
苦しみに振り回されない人を、苦しみで操ることはできません。
たとえ今、自分の心の中が暴風雨の中にいるような気がしていても、その暴風雨さえ包み込む心の外側にある心に気づけば、苦しんでも苦しまなくても、どちらでもいいと思えてくるかもしれません。
調子が悪くなっても、良くなっても、心の浮き沈みは不幸でも幸福でもないのです。その外側から見れば何もないのと同じです。
今日できる事を今日できる範囲で淡々と行うだけで、自分を操らず、人も操らない、助けたい人は助けて、できないことはしないで一日を終えます。
最終的に、必ずしも、良くならなくてもいいし、できなくてもいいので、今できる準備だけを、できる日だけ、続けなくてもいいので、できる時はやります。
何もしなくても、何かをしても、どちらにせよ今日は素敵な一日です。
自分の期待に振り回されず、穏やかに生きられるのです。
普段の暮らしから離れて旅をする。
お寺に行って、仏さまをじっと見つめる。
心が乱れていると感じる時、心を観察する場所で、ひとときを過ごすのもいいかもしれません。
それは、別により良くならなくてもいい時間です。
それこそ一番いい時間なんですけどね。
星祭り護摩法会 豆まきのご案内
一年の皆様の無病息災を祈念いたしまして、今年も星祭り護摩法会をいたします。心を見つめて、心を穏やかに整えるようにしていると、暮らしがだんだんと穏やかになってまいります。どうぞお参りください。
今年は2月3日と6日にお参りをいたします。お参りをお考えの方は弘仁寺までお問い合わせいただき、参拝しやすい機会にお越しください。
なお、祈願札のみの申し込みも可能です。法会の後、祈願札を郵送いたします。
令和4年2月3日(木)午後2時より護摩法会 豆まき
令和4年2月6日(日)午後2時より護摩法会 豆まき


福もちつき大会のご案内(令和3年12月29日11時~12時半)
