淡彩日記

カテゴリー: 読める法話

秋のお彼岸 心を穏やかに

2022年09月24日 / 読める法話

去る9月23日10時から弘仁寺にて彼岸法会がありました。 供養の申し込みいただいた方の塔婆を書いて、本堂で読み上げ供養を致しております。

仏教の修行の中にはたくさんの側面がありますが、その中にはまず自分の人生に意義を見出し、次に人を幸せにすることに興味を持つというものがあります。 自分の行動と思いを観察しているうちに、自分がなぜそう感じるのか、自分でも気づいていなかったことが分かるようなるにつれて、次第に心の余裕が持てるようになっていきます。

そうすると、次に他の人の考え方や、感じ方に興味がもてるようになり、人が苦しんでいるのであればその苦しみを取りたくなり、楽を与えたくなっていくようです。

空に雲が垂れ込めていてもいつか晴れるように、変わらないものはありません。今の自己の苦しみも、よく考えて観察しているうちに段々と和らいでまいります。意味が分からないうちは心の重荷でも、意味が分かって納得がいけば心は軽くなり、晴れやかで穏やかな心持ちで暮らしていけるはずです。

秋の涼しく穏やかな空の下、皆様お一人お一人が自心を見つめて、安心を見出せますよう祈念しております。

より良くを目的にしない

2022年06月09日 / 読める法話

どんなに苦しい時であっても、無限には続きません。無限に苦しみが続くにように感じる時は、少し立ち止まって一人で旅をする時期です。

ひょっとしたら自分自身が、自分の苦しみを利用して別の目的を叶えようとしているのかもしれません。

自分を苦しめる考えは、もちろんやめなくてもいいですが、やめてもいいのです。こうすればいいとか、より良くとか、なんとかして良くしたいとか、あまり気にしないことです。

今できることも、学んでできるようになることも、みんないつかできなくなります。そういうものです。できることをする。できないことはしない。それでいいのです。

苦しみに振り回されない人を、苦しみで操ることはできません。

たとえ今、自分の心の中が暴風雨の中にいるような気がしていても、その暴風雨さえ包み込む心の外側にある心に気づけば、苦しんでも苦しまなくても、どちらでもいいと思えてくるかもしれません。

調子が悪くなっても、良くなっても、心の浮き沈みは不幸でも幸福でもないのです。その外側から見れば何もないのと同じです。

今日できる事を今日できる範囲で淡々と行うだけで、自分を操らず、人も操らない、助けたい人は助けて、できないことはしないで一日を終えます。

最終的に、必ずしも、良くならなくてもいいし、できなくてもいいので、今できる準備だけを、できる日だけ、続けなくてもいいので、できる時はやります。

何もしなくても、何かをしても、どちらにせよ今日は素敵な一日です。

自分の期待に振り回されず、穏やかに生きられるのです。

普段の暮らしから離れて旅をする。

お寺に行って、仏さまをじっと見つめる。

心が乱れていると感じる時、心を観察する場所で、ひとときを過ごすのもいいかもしれません。

それは、別により良くならなくてもいい時間です。

それこそ一番いい時間なんですけどね。

【読める法話1】お寺はこころを観察する道場 Part5

2019年04月05日 / 読める法話

さとりって、「ほら、ここ!ここにあるよ!」というくらい
日常のすぐ近く、仕事のすぐ近くに転がっていて、
見つかる時は、案外すぐ見つかるものなんです。

私たちは、成仏するために努力するのではありません。
もうすでに、わたしは成仏しているんだと
「納得するため」に努力するのです。

コツコツ道場に通っているうちに、本当にすごい人って
いるんだなぁと気づくことが増えてきていつのまにか、
自分も本物にちょっとずつ近づいてきているなぁと
実感するみたいです。

「わたしだって本物なんだ」と納得するために、
心を表現する練習をしてみませんか?

何度も通って、納得するための場所、自分に価値があると
気づくための道場が、弘仁寺です。

【読める法話1】お寺はこころを観察する道場 Part4

2019年04月04日 / 読める法話

心は肉眼には見えません。
心の声は左右の耳からは聞こえません。
だとしたら、本心、本音はどこにあるのでしょうか?

それは、「体と心と言葉の繋がり」の中にあるみたいです。
そして、それに気づくには、道場に通うのがおすすめです。

道場に通って何をするかというと、道場の環境の変化、
自然の変化を見つめ、その「変化」を感じるのです。
(特に水と炎が大事です)

なぜそんなことをするのかというと、本物になる方法は
再現性があるからです。
本物になった人は、やっぱり自然をよく観ています。

ある人は水を眺めて、
ある人は火を眺めて、
ある人は星を眺めて、
ある人は山を眺めて、
ある人は川を眺めて、
ある人は海を眺めて、
ある人は草木を眺めて、
さとりました。

本物の自信がある人は、人の和も大事にします。
ある人は話をしているうちに、
ある人は茶碗を洗っているうちに、
ある人は掃除をしているうちに、
ある人は寝ていたら突然(!?)
大切なことに気づきました。

さとりを開くって、ほとけさまから見たら、
特別すぎる奇跡ではありません。

【読める法話1】お寺はこころを観察する道場 Part3

2019年04月03日 / 読める法話

「道場」と言うと何を思い浮かべますか? 剣道、
柔道、茶道、華道などでしょうか。実は、お寺も
「道場」ですが、残念ながら、道場として使う
ことを忘れられがちです。
お寺は、本当は「自分を観察する道場」です。
しごと、くらし、じぶんは三位一体。
お寺をじぶんの道場としてしっかり使って、
じぶんを見つめ、じぶんを本物だと信じる
練習をして欲しいのです。

そもそも、なぜ私たちは本物を求めるので
しょうか?
それは、安心できないからです。
私たちの心のモヤモヤ、つらさは、どこから
生まれるのでしょう?
それは、「自分のことが、分からないからだ」と
仏さまはおっしゃっています。

さとりをひらくって、「自分の心を如実に知ること」
なんです。
これは、大日経というお経に書いてあります。

「如実に」って何かというと、きれいごとだけではない、
プラスもマイナスも、ポジティブもネガティブも
陰も陽も成長も衰退もどちらも含んだ、本音の自分の
心の声のことです。

自分の本音が、聞こえなくなっているのが
「迷い」なんだというのです。

自分の心の本音をよく聞いて、本心をよく見て、
それを表現する練習を繰り返す、そうするうちに
自分は本物に近づいていきます。

【読める法話1】お寺はこころを観察する道場 Part2

2019年04月02日 / 読める法話

本当にすごい人って、この人は本物だなぁって
思える人です。体験に裏打ちされた、深い
自信のある人です。

自分を信じている人は、目と、耳と、表情と、
態度と、身振り手振りと、全身で自分の思いを
表現するんです。

感謝する時も、文字や言葉だけでありがとうを
伝えるだけでは終わりません。
目でも、表情でも、身振り手振りでも、全身で
感謝を表現します。

自分を信じてるよ、自信あるよ、と納得する
ためには、本を読んで、話を聞いて、頭で考える
だけでは足りません。
もちろん、本は沢山読んでいます。あらゆる本を。
じっと考えています。ずっと考えています。
…それでも、深く深く自分を信じるには、体を
使った反復練習がいるんです。

こういった、自分を本物だと信じるための練習を
する場所を「道場」といいます。

【読める法話1】お寺はこころを観察する道場 Part1

2019年04月01日 / 読める法話

突然ですが、さとりに、興味はありますか?
と聞くと、いえいえ、わたしは凡人だから、
はっきり言って、わたしは煩悩の塊だから、
さとりなんて立派なものには縁がありません。
悟りは、はるか遠い、どこかの話……そう、
仏教でいうところの、ほとけさまの世界の
話でしょう?という声が聞こえてきます。

そうですよね…

あなたはもしかしたら、だれか本当にすごい
人を探す旅の途中なのかもしれません。
そんなすごい人に沢山出会えたらいいですよね。

でももし、あなたが探している本当にすごい人に、
あなた自身がなれるとしたら、どうでしょうか?
うれしくないですか?

うれしいですよね。

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