淡彩日記

出来る限りのことを尽くすと、清々しい心が帰ってくる

2023年03月28日 / 読める法話

先日、有る方のご法事に出仕し、お参りをさせていただきました。その日は施主様から心のこもった丁寧なおもてなしを頂き感謝しております。ご家族の皆様が、「このような法事の機会が持てて、故人も喜んでいることと思います」と悲しみの中にも晴れやかにお話して下さいました。ご葬儀の際の憔悴しきっておられたご家族の様子、ご家族の心の悲しみの深さを憶えていたので、それでも出来る限りを尽くしたご供養をなされるうちに、こんなにもご家族の表情が清々しいものになるのかと感じ入るものがありました。

私たちは、出来る限りのことをしようと心底思い、出来る限りのことを準備して、出来る限りのことを無事出来たと思える日が来たとしたならば幸いです。誰になんと言われようとも、出来て良かったと思えるし、心残りが無くなります。たとえ身体的な苦しみが残っていたとしても、心残りが無くなるだけで、生きることは相当楽になります。

逆に、出来る限りを尽くさず、出来る範囲で簡単に済ませようとするときほど、不思議なことに、何か心残りが生まれるようです。最初から出来る限りを目指さないことで、たしかに体力・精神力の負担や、時間の負担や経済的な負担は多少減るかもしれません。ですが、たとえそういった面で余裕を持ってできたとしても、いつまでも心残りに悩まされ、生きることが相当苦しくなります。

そういえば最近、「人に迷惑をかけたくない」という言葉がよく使われます。この言葉は、人に対して、身体的、精神的、経済的、時間的な負担をかけたくないという意味で使われているようです。ですが、人は全力を出し尽くせたと思えた時にこそ、心の爽やかさ(清浄さ)を感じることが出来る、不思議な生き物です。例えば、日本チームの優勝によって幕を閉じたWBC2023年大会でも、大谷選手を始めとした多くの代表選手の全力を尽くしたプレーを見ているうちに、私たちもいつの間にか心をつかまれ、心を動かされて大きな喜びを感じました。やはり、精神的な喜びと満足を得るには、出来る限りのことを尽くすことが欠かせません。ずっと何かを忖度(そんたく)し、出せる力を抑え手加減しているだけでは、生きていてよかったと、生きる意味を感じられるほどの十分な満足と喜びを得ることは決して出来ないのではないでしょうか。

人に迷惑をかけないという言葉が意味するのは、人に心残りを残させないということのはずです。そうであるならば、出来る限り精一杯のことをしようと心から思い、それを人に話して、実際に少しずつでも準備をしておくことが大切です。それこそが、人に迷惑をかけないことになるのかもしれません。

仏教の教えは精密な構造を持っていて、時間をかけて丹念に学べば、心の苦しみがだんだんと軽くなるようになっています。どうか皆様の心の苦しみが軽くなりますように、皆様の心残りがなくなりますようにと願っています。そのための手がかりになる話を集めてお伝えできるよう、これからもこつこつと準備を重ねてまいります。本日もお読みいただきありがとうございました。

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